{魔 法のヒント B}
 
「人生は暇つぶ しのゲームである。」


こんなむなしい 答えでは、頑張って何かをしようとする意欲が湧いてこない。

この軽薄な結論 には納得できないという人もいるだろう。

私自身も最初の 頃は、もう少し立派な


「人間として生 まれたからには、こう生きるべきだ。」


という結論が出 ることを期待していた。

「立派な人生の 目的や使命」(魂の成長、人格の向上、etc……)

これが見つかれ ば充実した人生を送ることができる。

どう生きるべき かを悩む必要もなくなり、精神的にはかなり楽になると思い込んでいた。


しかしよく考え てみるとこれはかなり窮屈な人生だ。

もしも「万人共 通の立派な人生の目的や使命」

こんなものが あったなら大迷惑だと思わないか?

私は、生まれる 前からどう生きるべきか決められているような

選択肢の無い人 生は絶対嫌だ。

ノルマ付きの人 生なんて冗談じゃない!

それでは生きる ことは仕事と同じになってしまう。

ロボットみたい に神様の命令通り生きるなんて疲れるだけでちっとも楽しくない。


神 が決めた「人生の目的」が存在するなら、自我(考える自分)の存在は無意味だ。

神 が決めた「人生の目的」が存在しないから、自我(考える自分)の存在に意味がある。


神様は人間に精 神修行の強制プログラムはしていない。

もう少し気楽に 生きよう。

とりあえず「人 生は退屈しのぎのゲームである。」これぐらいで十分だ。

人生に効率や合 理性を求める必要は無い。

音楽、映画、絵 画、芸術、恋愛、スポーツ‥‥

この無駄な自由 こそが人生を豊かに楽しむために最も大切なものだ。

生きることに大 した意味はない。


な んでもできる自由。

な にもしない自由。


ただの「ゲー ム」だからこそ自由でいられる。

絶対するべきこ となど何もない。

無駄こそが存在 の本質だ。

わずか八十年ぐ らいで朽ち果てる命に特別な意味や価値などあるはずがないだろう。

すべての人間は 平等に無価値だ。

人生はもっとシ ンプルに楽しもう。

「おいしものを 食べたい。キレイな服を着たい。かわいいモノが好き。」

人生の楽しみ方 は女性を見習えばいい。

生きることは 思ったほど難しくはない。

私は、十年間答 えを探しつづけて立派な答えなど必要無いことにやっと気がついた。

人生に決められ た設計図や地図は必要ない。

もしそんなもの があったなら生きることは強制労働になってしまう。


「人 生は暇つぶしだからこそ、生きる価値がある。」

「人 生は暇つぶしだからこそ、自由に生きられる。」



私は命の使い道 は自分で決める。






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